NHKの連続テレビ小説『すずらん』ではヒロインを務めるなど華々しい活躍をしてきた遠野なぎこさん。
バラエティ番組でも人気で明るいキャラクターでしたが、実は過去に母親から虐待を受けていたことを明かし、話題になりました。
2016年に文庫化された自伝の中に記された、遠野なぎこさんの生い立ちがかなり衝撃的だったのです。
今回は、遠野なぎこさんの壮絶な生い立ちについてご紹介していきます。
遠野なぎこの生い立ちが衝撃的!
4人兄弟の長女として生まれた遠野なぎこさん。
愛されるべき存在なのに、「母親からは一度も愛情を注いでもらえなかった」と言います。
遠野なぎこさんは、どのような生い立ちだったのでしょうか。
幼少期
1979年11月22日に第1子として誕生。
母親は当時18歳で妊娠、19歳での出産でした。
両親は、まだ幼い遠野なぎこさんに手をあげていたようです。
母と父は何かにつけ、まだ幼い私を殴ったり精神的に追い詰めるようなことを繰り返していました。髪の毛を掴まれて壁に叩きつけられたり、体を引きずり回されたり。
参考サイト集
その後弟と妹が生まれましたが、遠野なぎこさんが小学生の時に両親は離婚。
弟や妹には手を出さず、決まって対象は遠野なぎこさんだけだったようです。
6歳で子役デビュー
母の「女優になる」という夢を託されたのも、遠野なぎこさんではなく弟と妹だけで、母親が2人を連れて児童劇団の習い事に通うのに付き添うだけだったそうです。
しかし、劇団のスタッフが「お姉ちゃんも、子役やってみない?」と声を掛けてくれたことがきっかけで、子役デビューすることになったのだとか。
母親は、いつも遠野なぎこさんの外見を「醜い」と否定し続けていたので、スタッフに対しても「は? この子が、ですか」と聞き返していたそうです・・。
母親の「醜い」という言葉とは真逆でとっても可愛らしいお顔立ちだったので、
1991年:テレビ朝日『鳥人戦隊ジェットマン』
に、本名の「青木秋美」名でゲスト出演し、デビューしています。
自慢の娘さんだと思いますが、何故なのでしょう・・。
15歳で摂食障害に
遠野なぎこさんは、人気子役であったことから中学校でいじめにあったときも、親の言いなりになるしか無かったため、それに耐えて仕事を続けていたのだそうです。
15歳の頃、体型が変化しやすくなって「子役の仕事が来なくなるのでは」と悩んでいた遠野なぎこさんに、母親は
「吐けばいいのよ。吐いちゃえば、太らないんだよ。やってごらんなさい」
と驚くべきことをいったのだそうです。
母親も同じように過食嘔吐を伴う摂食障害だったようで、スリムな体型をずっと維持していたようです。
完治することのない病気で、母親もその病気の苦しみを知っているはずなのに、遠野なぎこさんも道連れにしたのです。
摂食障害によって、ここから先何十年と苦しむことになってしまうのですね・・。
16歳で一人暮らし
母親は再婚しても男遊びをやめることはなく、W不倫していることを自慢するかのように語ったり、生々しい男女のエピソードを遠野なぎこさんに聞かせていたといいます。
驚くべきことに、再婚相手と一緒にお風呂に入るよう強要させたこともあったそう。
そんな異常な環境から距離を置くために、遠野なぎこさんは、1995年にTBSドラマ「未成年」がヒットした16歳の時に一人暮らしを始めます。
しかし、やはり母親の愛情を求めてしまっていて、20代はなにかと母親にも会っていたそうです。
20代最後に家族と絶縁状態
最後に電話で話したのは20代の終わり頃で、遠野なぎこさんが一度目の結婚をした頃に関係を切ったのだそう。
遠野なぎこさんは、酔っぱらった勢いで
今までどうして私にこんなことをしたんだ
なぜ私を摂食障害にしたんだ
と責めてしまったのだそうです。
遠野なぎこさんは、子供の頃から「お前は醜い」と言われ続けて育ったので、今でも自分の姿を鏡でまともに見ることはできないくらいのだそう。
自尊心を傷つけられ続けたら、誰でも自信を無くしてしまいますよね。
遠野なぎこさんの悲痛な訴えに対して、母親は「過呼吸になった」と言っていたのだそう。
そのあと、母の3人目の旦那が電話口に出てきて
「いい加減にしろ、二度とかけてくるな」「●●(母の名前)を苦しめるな」
と言い放ったのだそう。これを最後に、家族とは絶縁状態だったそうです。
このように、母親から一度も愛情を与えられたことがない経験から、遠野なぎこさんは「人の愛し方が分からない」と語っています。
3度の結婚・離婚を経験された遠野なぎこさんの離婚歴や、歴代夫についてもご紹介しています。詳しくはこちらをご覧ください↓
遠野なぎこさんの生い立ちは本当に明るいキャラクターからは想像できないほど、暗くて重たい闇を抱えていたんですね。
次項では、遠野なぎこさんの母親についてもう少し深掘りしていきます。
遠野なぎこの母親からは虐待・DVが日常茶飯事だった⁉
遠野なぎこさんは、4人兄弟のうち一人だけ日常的に虐待や言葉の暴力を受けていたようです。
虐待をしていた母親はどのような人物で、どのような行動をしてきたのでしょうか。
「母親」ではなく「女」として生きていた
遠野なぎこさんの母親は、女優になりたかったそうですが、高校生(18歳)の時に妊娠。
地元の青森から男性と駆け落ちして、神奈川県川崎市に移り住みましたが、生活も苦しかったことから「人生を狂わされた」と思い込み、遠野なぎこさんに辛く当たっていったようです。
母にとって私は、彼女の人生や夢を壊した“邪魔者”だったのかもしれません。結局、一度も愛情を与えてくれることはありませんでした。
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離婚後も、男性をコロコロと変えては家を出ていき、1週間ほど放置されたこともあったとか。
そのため、遠野なぎこさんが下の兄弟の面倒を見ていたそうです。
母は私に対して、娘というより「女」として対抗意識を燃やしているような部分もあったと思います。
だからなのか、私が弱れば弱るほど喜ぶ、みたいな感じでした。例えば、私が自分を否定したり、自虐的なことを言うと喜ぶんですよ。
演技がうまくいかなかったとか、自分の体型のことを言ったりすると。
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母親は褒めることは一度もなく、「ブス」「醜い」「肌が汚い」など外見に関する暴言も日常的に浴びせていたそうです。
ひどいですね・・・。
旦那と一緒に虐待・DV
遠野なぎこさんが女優であることに対し、母親は娘ではなく女として嫉妬心を抱くようになります。
外出する時は遠野なぎこさんを着飾らせ、帰宅すると鼻血が出るまで殴る・蹴るの暴行を加えていたと言います。
父親も一緒になって髪の毛を引っ張って壁に叩きつけられたり、体を引きずり回されたりと、精神的に追い詰めていったのです。
殴られた後には、決まっていつも、青いバケツが私に向かって投げられるんです。
鼻血が止まらなくなって、毎回ティッシュを1箱使うので「もったいない」と言われて。
だからバケツに鼻血や涙を溜めて、止まったらそれを流すんです。
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母親代わりに一生懸命下の兄弟達のお世話をしていたにも関わらず、本当に信じられない話です。
旦那の後を追って自死
母親は、3番目の旦那がガンで亡くなった次の日に、後を追って自死したそうです。
知らせを受けた遠野なぎこさんは、1週間くらいはすごく精神が不安定になり、あまり記憶がなかったようです。
仕事もできる状態ではなく、ただ泣き喚いていたと言います。
でもそれは悲しい、という感情からではなく、どちらかというと悔しい気持ちや「ようやく解放されるんだ」という気持ちからだったそうです。
自分が壊れてしまうのが分かっていたため、葬儀には参列しなかったそう。
通っていた主治医の先生にも「呪いが解けたんですねぇ」と言われるくらい、心身の状態は安定したようです。
しかし、この壮絶な体験は今もなお遠野なぎこさんを苦しめているそうです。
遠野なぎこさんが激変したのはいつからなのか、調査してみました。詳しくはこちらをご覧ください↓
まとめ:遠野なぎこの生い立ちが衝撃的!母親からは虐待・DVが日常茶飯事だった⁉
今回は、遠野なぎこさんの生い立ちについてご紹介しました。
とてもお辛い環境で育ったのですね。生涯「女」として生きてきた母親。周りに頼らず、自分の中に押さえ込んで生きてきた遠野なぎこさんは、本当に強くて素敵な女性なのだなと思います。
遠野なぎこさんが心から安心して過ごせる日が来ることを願うばかりです。
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