1970年代に連続企業爆破事件を起こし、重要指名手配犯だった桐島聡とみられる男が身柄を確保された報道を受け、桐島聡という人物について関心が高まっています。
今回は、桐島聡容疑者の生い立ちや、家族構成、嫁や子供の有無についても調査していきます。
桐島聡の生い立ちが衝撃的!
桐島聡容疑者の生まれは、現在の広島県福山市でした。
瀬戸内海に面したのどかな場所で幼少期を過ごした桐島聡容疑者は、県内の「尾道北高校」に進学します。
広島県立尾道北高校
高校時代の桐島聡は、「熱しやすく冷めやすい性格」で、周囲から少し浮いた存在だったようです。
県立尾道北高校に進学するものの・・「青春の全てを犠牲にしてまでガリ勉になって何になるのか」などクラスメイトに議論を吹きかけていた。
・・級友たちとは距離を置くようになっていった。
「狼・さそり・大地の牙」著者:福井惇
クラスメイトにこのように言っていた桐島聡ですが、浪人することなく明治学院大学法学部に進学します。
当時から頭が良かったのかもしれません。
明治学院大学 法学部
桐島聡は、1972年に明治学院大学の法学部に入学します。(地図は2024年現在の横浜キャンパス)
入学後は映画研究会に入部。しかし、先述したように「熱しやすく冷めやすい性格」からか、約1年で退会したそうです。
映画研究会に入るが、2年の時には退会。
「狼・さそり・大地の牙」著者:福井惇
その後は同和問題の研究サークルに名を連ねる。・・このサークルも長続きしなかった。
大学在学中に黒川芳正や宇賀神寿一と出会い、東アジア反日武装戦線に「さそり」班として参加。
連続企業爆破事件の複数のテロ事件に関与することになります。
桐島聡は、1975年大学在学中にオリエンタルメタル社・韓産研爆破事件を起こしました。
桐島聡は何をした人物なのか、詳しい内容はこちらからご覧いただけます↓
同じく東アジア反日武装戦線のメンバー大道寺あや子が現在どこにいるのか、逃亡先についての記事も読まれています↓
アルバイト生活
桐島聡容疑者は、1975年4月に爆発事件を起こす直前まで、
東京都新宿区歌舞伎町内の大衆料理屋
でアルバイトをしていた情報があります。
当時、明治学院大学の横浜キャンパスがあったのかは不明ですが、この付近に自宅があったとしたら、歌舞伎町まで電車などで通っていた可能性がありますね。
父親に連絡後、消息不明
桐島聡容疑者は、爆破事件の翌月1975年5月に渋谷区の金融機関で現金を引き出し、実家の父親に電話をかけて以降、消息不明となっていました。
爆破事件の翌月に渋谷区の金融機関で現金を引き出し、その後「岡山で女と一緒にいる」と、広島に住む実家の父親に電話したのが最後に確認された動向で、組織の中でただ一人一度も逮捕されなかった。
参考サイト集
その後海外逃亡したと思われていた桐島聡容疑者でしたが、末期がんを患い入院していた病院先で「桐島聡だ」と名乗ったことから、大学時代から過ごしていたと思われる神奈川県内に住んでいたことが分かりました。
ちなみに、桐島聡の懸賞金はいくらだったのでしょうか?
↓詳しくはこちらをご覧ください。
桐島聡の時効が停止していた理由も詳しく解説しています↓
工務店勤務
病院先で自白したことで、国内にいたことが分かった桐島聡容疑者。
警察の事情聴取で、神奈川県藤沢市内の土木工事会社で数十年間働いていたことが判明しました。
桐島聡容疑者は長い間「内田洋(ウチダヒロシ)」という偽名で地域に溶け込んでいたようです。
1974、75年に起きた連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗る男が、神奈川県内の土木会社で偽名を使い、数十年にわたって住み込みで働いていたことが捜査関係者への取材でわかった。
桐島容疑者は、事件発生から49年間逃走している。
参考サイト集
桐島聡とみられる男は、工務店に住み込みで働いていたようで、自宅は会社近くの2階建ての木造アパートだったそうです。
桐島聡が働いていた工務店はどこなのか気になりますよね!
↓詳しくはこちらをご覧ください。
2024年1月29日 死亡
桐島聡とみられる男は、1年程前から末期の胃がんを患っていました。
身元がバレないよう、健康保険証を所持していなかった男は自費で通院していたそうです。
死期を悟った桐島聡とみられる男は、「最期は本名で迎えたい」と話し、”桐島聡”と名乗りました。
そのわずか4日後の2024年1月29日、入院先の病院で死亡が確認されました。
1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして指名手配された「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)と名乗る人物が、29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡したことが捜査関係者への取材でわかりました。
参考サイト集
警視庁はDNA鑑定などで確認を急いでいて、本人と確認されれば、容疑者死亡のまま書類送検する方針だそうです。
新しい情報が入り次第、追記していきます
ちなみに、桐島聡の2024年現在の顔写真も話題になっています!
桐島聡の家族構成や嫁・子供についても徹底調査!
桐島聡とみられる男が身柄を確保されたことで、家族についても注目が向けられています。
桐島聡容疑者の家族構成や、嫁・子供の有無についても調査しました。
名家で6人家族だった?
桐島聡容疑者の実家は、以下の理由から地元では有名な名家だったそうです。
- 曽祖父が明治時代からの村会議員
- 祖父が村議や町議を務めていた
ご先祖様が地元では有名な方だったんですね!
その家系に生まれた桐島聡容疑者の家族構成はこちらです。
- 父親
- 母親
- 長女
- 次女
- 桐島聡容疑者
- 弟
なんと桐島聡容疑者は4人兄弟の長男で6人家族だったようです。
昭和29年(1954年)1月、桐島はこの家に生まれる。
「狼・さそり・大地の牙」著者:福井惇
父は・・(身バレのため省略)、母と姉二人、それに弟という家族構成である。
産経新聞在籍時に桐島聡容疑者を追っていた記者・福井惇さん著書の「狼・さそり・大地の牙」、はアマゾンから購入できます。
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父親は地方の農林水産省の職員だったそうですので、代々優秀な家柄だったのではないでしょうか。
しかし、顔写真や名前の公表もないことから、詳細は不明です。
母親についても詳細はわかっていませんが、4人の子育てや夫が地方職員であれば専業主婦だった可能性が高いと思われます。
兄弟は姉が2人、弟が1人いたようですね。
調査したところ、兄弟2人が健在であることが分かりました。
桐島聡とみられる男の身元確認をするため、DNA鑑定をする必要があります。
報道では、「きょうだい2人」からDNAの提出を受け鑑定を進めているそうです。
警視庁は、桐島容疑者のきょうだい2人からDNAの提出を受け、鑑定を進めているが、きょうだいのDNA鑑定は、親子の場合より確度が下がるため、複数の人物で鑑定作業をする必要があり、時間がかかっているものとみられる。
参考サイト集
もし両親のどちらかがいれば確度が上がるそうですが、「きょうだい」から提出してもらっているということは、両親は他界している可能性が高いと思われます。
そして、兄弟は桐島聡容疑者含めて4人いたので、1人とは連絡が取れないか、提出拒否、または死亡している可能性があります。
桐島聡容疑者の親族は、本人以上に苦しい生活だったのかもしれません。複雑な心境を次のように明かしています。
親族は「(指名手配の)ポスターで顔を見るたびに嫌な思いをしてきた」と複雑な心境を明かした。
親族はこれまで、桐島容疑者との関係を周囲から問われることがたびたびあったという。「50年も逃げ続けたのなら偽名のままでよかったのに」と語気を強めた。
参考サイト集
親族は遺体を拒否しているということで、自治体の火葬になるのかも注目です。
嫁・子供の有無
調査してみましたが、桐島聡容疑者に以下の理由から妻・子供はいないものと思われます。
・結婚・子供の情報が一切ないから
・逃亡生活のため、婚姻届けなど身分が分かる書類を提出出来ないから
・「結婚したい」と相談を受けたことがあるという知人の証言
桐島聡容疑者に結婚して子供がいるという情報は見つかりませんでした。
また、桐島聡容疑者とみられる男の知人の話によると、結婚を視野に入れた20歳下の交際相手がおり、「結婚したい」と相談を受けたことがあるそうです。
20年ほど前には、「居酒屋で知り合った20歳くらい年下の女性と結婚したい」と周囲に打ち明けたこともあったといいます。
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また、交際を求められたこともあり、
自分は幸せにできるタイプの人間じゃない
と女性からのアプローチを断ったという話もあります。
さらに、警察の事情聴取では「誰の支援も受けずに一人でいた」と供述していることから、その女性とは結婚しなかったと思われます。
以上の事から、桐島聡容疑者には妻・子供はいなかった可能性が高いですね。
まとめ:桐島聡の生い立ちが衝撃的!家族構成や嫁・子供についても徹底調査!
今回は、桐島聡容疑者の生い立ちや、家族構成、妻や子供の有無についてご紹介しました。
今はまだ本人確認中だということですが、ぜひ生きていたら本人の口から事件の詳細や、どのような気持ちで過ごしていたのか聞かせてほしかったですね。
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