コロナが5類に移行し、音楽業界もようやくかつての盛り上がりを見せ始めた2023年。
コロナ渦でも私達に元気や勇気を与え続けてくれていた音楽界で、歌手やミュージシャンの訃報が相次いだ悲しい1年にもなりました。
2023年に続き、2024年に亡くなったミュージシャンについてもご紹介していきます。
- 相次いだミュージシャンの訃報
- 【2024年】亡くなったミュージシャンは誰?死因も調査
- 冠 二郎さん(享年79歳)
- 小金沢昇司さん(享年65歳)
- 伊丸岡 亮太さん(享年37歳)
- ダモ鈴木さん(享年74歳)
- 小林正樹さん(享年81歳)
- 吉田彰さん(享年75歳)
- 仲宗根美樹さん(享年79歳)
- 若子内悦郎さん(享年74歳)
- 渡辺文男さん(享年85歳)
- 亀川千代さん(享年54歳)
- REITAさん(享年42歳)
- 佐川満男さん(享年84歳)
- 吉村たくみさん(生死不明)
- 菅弘典さん(享年54歳)
- 小宮守さん(生死不明)
- くぅさん(享年25歳)
- YASSさん(享年58歳)
- 門倉有希さん(享年50歳)
- PILLさん(生年不明)
- 花岡献治さん(享年70歳)
- GONGON(菅原勇太)さん(享年46歳)
- 園まりさん(享年80歳)
- 高石ともやさん(享年82歳)
- 酸欠少女さユりさん(享年28歳)
- 【2023年】亡くなったミュージシャンは誰?死因も調査
- まとめ:【2024年】相次いだミュージシャンの訃報/亡くなったのは誰?死因も調査
相次いだミュージシャンの訃報
コロナが5類に移行してようやく音楽界も活気を取り戻し、たくさんのライブやコンサートが開催され始めた2023年。
暗く重い自粛期間に、音楽の力で私達に元気を届けてくれた歌手やミュージシャンが、相次いで死去する悲しい1年でもありました。
谷村新司さんや、櫻井敦司さんなど、相次いだ歌手・ミュージシャンの訃報に、GACKTさんも同じミュージシャンとして悲しい思いを呟いています。
今年は訃報の知らせが多すぎる。
— GACKT (@GACKT) November 8, 2023
ただ、彼は早すぎだ。
こんなにも早い旅立ちに悲しみが止まらない。
早い、早すぎるだろ。
せめて向こうで他のメンバーと共に、安らかな時間を過ごせますように。
2023年に続き、2024年に天国へと旅立った主なミュージシャンは誰なのか、死因も合わせて調査しました。
【2024年】亡くなったミュージシャンは誰?死因も調査
2024年に亡くなった歌手・ミュージシャンは、9月時点ですでに24名もいらっしゃいます。
1人ずつご紹介していきます。
冠 二郎さん(享年79歳)
演歌歌手の冠 二郎さん。
1967年にビクターレコードより「命ひとつ」でデビュー。
1976年にコロムビアレコードへ移籍し、「旅の終りに」「みれん酒」「酒場」などがヒットしました。
「炎」をはじめとしたネオ演歌・アクション演歌路線が話題となり、バラエティー番組でも活躍。NHK紅白歌合戦には3回出場を果たしています。
2024年1月1日、心不全のため埼玉県内の病院で死去されました。79歳でした。
小金沢昇司さん(享年65歳)
演歌歌手の小金沢昇司さん。
1988年に「おまえさがして」で念願のデビュー。
1992年にのど薬のCMで「歌手の小金沢くん」としてブレークし、お茶の間の人気者になりました。
2023年が歌手生活35周年の節目でしたが、2024年1月11日、神奈川県内の病院で呼吸不全のために死去されました。
65歳でした。
伊丸岡 亮太さん(享年37歳)
3人組バンド「GOOD ON THE REEL」の元メンバーでギタリストの伊丸岡 亮太さん。
「GOOD ON THE REEL」は、同じ学校で出会ったメンバーで2006年に結成。
バンド名は「なんか良い感じ」の意味となっています。伊丸岡さんは2023年3月に体調不良のため脱退していました。
2024年1月20日に死去されました。死因については公表されていないようです。37歳でした。
ダモ鈴木さん(享年74歳)
歌手で、旧西ドイツの前衛的ロックグループの「CAN」のボーカリストのダモ鈴木さん。
「Tago Mago」「Ege Bamyasi」「Future Days」といったアルバムに参加したダモ鈴木さん。
独自の即興的歌唱法で知られるダモ鈴木さんは、バンド脱退後、自身のライブ音楽プロジェクト「Damo Suzuki’s Network」を立ち上げ、世界各国のさまざまなミュージシャンと即興ライブを行ってきました。
2度のがんを克服しましたが、残念ながら2024年2月9日、がんのため死去されました。74歳でした。
小林正樹さん(享年81歳)
歌謡グループ「内山田洋とクール・ファイブ」メンバーでベーシストの小林正樹さん。
「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビュー。内山田さん死去後の2006年からは「前川清&クール・ファイブ」のコーラスを担当しました。
2024年2月15日、老衰のため死去。81歳でした。
吉田彰さん(享年75歳)
「チューリップ」の初代メンバーでベースを担当していた吉田彰さん。
「チューリップ」は1971年、財津和夫・吉田彰・安部俊幸・上田雅利・姫野達也のメンバーで結成され、翌1972年に上京しデビュー。
「心の旅」「サボテンの花」など数々のヒット曲を生み、1989年に18年の歴史に幕を下ろすも、デビュー25周年にあたる17年に再結成を発表しました。
2022年には結成50周年を記念したメモリアルツアーを実施しています。
2024年2月16日、死去されました。死因は公表されていないようです。75歳でした。
仲宗根美樹さん(享年79歳)
歌手の仲宗根美樹さん。
昭和36年に歌手デビュー。同年発売した「川は流れる」が大ヒットし、人気を集めました。
他の曲に「島育ち」「奄美恋しや」「ドリーム・ファイブ」など多くのヒット曲を生みました。
NHK紅白歌合戦にも5回出場しています。
2024年2月24日、肺がんのため東京都渋谷区の病院で死去されました。79歳でした。
若子内悦郎さん(享年74歳)
歌手の若子内悦郎さん。
1960年代後半より尾藤イサオさんのバックバンド「ザ・バロン」のベース&ヴォーカルとして活動ののち、NHK総合『ステージ101』のオーディションを経て「ヤング101」のメンバーとして活躍しました。
2024年3月9日には、17年ぶりのCDリリースとして制作が進めらていた5曲ミニアルバム『Stay Alive 』が発売される予定でしたが、
2024年2月27日、発売を前にがんのため逝去されました。74歳でした。
渡辺文男さん(享年85歳)
ジャズドラマーの渡辺文男さん。
兄はサックス奏者の渡辺貞夫さん。貞夫さんのバンドで活躍する一方、自身のバンドでも「グルーヴィン・ハイ」などのアルバムを発表しました。
2024年3月24日、肺炎のため死去されました。85歳でした。
亀川千代さん(享年54歳)
ロックバンド「ゆらゆら帝国」のベーシストの亀川千代さん。
1998年に「ゆらゆら帝国」のメンバーとしてメジャーデビュー。
前髪をまっすぐに切りそろえた腰まである黒のロングヘアがトレードマークでした。
2010年のバンド解散後は、灰野敬二率いるバンド・「不失者」や、山崎春美率いるバンド・「ガセネタ」のメンバーとしても活躍していました。
2024年4月7日に病死。54歳でした。病名は明かされていませんが、かねてより療養中だったとのことです。
REITAさん(享年42歳)
ビジュアル系ロックバンド「the GazettE(ガゼット)」のベーシスト、REITAさん。
2002年に「the GazettE」を結成。鼻に白い布や額まである黒いマスクをするスタイルがトレードマークでした。
2024年4月15日に死去され、翌日に所属事務所の公式サイトで訃報が発表されました。
死因は公表されていないようです。42歳でした。
佐川満男さん(享年84歳)
歌手で俳優の佐川満男さん。
1960年に「佐川ミツオ」名義でシングル「二人の並木径」を発売し歌手デビュー。
1968年には本名の佐川満男名義で発売した「今は幸せかい」が大ヒットを記録し、同曲などでNHK紅白歌合戦に4回出場しました。
俳優としても、「おちょやん」「カムカムエヴリバディ」など10作品に出演していました。
事務所によると、佐川さんは2023年、現在公開中の映画「あまろっく」の撮影中にも体調不良を訴えており、2024年3月から入院。容体が急変し、2024年4月12日に胆のう炎のため死去されました。
2003年には胃がんの摘出手術を行い、2018年にも脊柱管狭窄症の手術を行うなど、病に悩まされていたようです。84歳でした。
吉村たくみさん(生死不明)
アーティストの吉村たくみさん。バンド「a SO-VIVA」のボーカルでした。
I.O.C.Entertainmentに所属しており、2024年4月27日でソロデビュー2周年を迎えたばかりでした。
事務所によると、2024年5月3日に死去されたとの事です。
死因は公表されていないようです。年齢も公表していないことから、生死不明でした。
菅弘典さん(享年54歳)
北海道札幌市を中心に活動する3人組バンド「壬生狼」のドラム・菅弘典さん。
「壬生狼」のメンバー近藤浩さんによりますと、2024年5月4日、新宿ロフトで行われたライブに3人で出演。
5日に札幌に戻り、6日の夕方、親族から「(菅さんの)心臓が止まっている」と連絡があり、その日の夜に息を引き取ったといいます。
菅さんの死因について、近藤さんは「心筋梗塞のようなもの」だと明かしています。54歳でした。
小宮守さん(生死不明)
「COCKROACHEEE’z」「JMR」のメンバーでラッパーの小宮守(本名:小宮良太(旧姓秋永))さん。
小宮さんは17歳でポエトリー大会に優勝するなど、早くから才能を発揮。
2016年に初アルバム「BALANCE OF GAME」を発売するなど、コアな人気を博していました。
2024年5月7日に死去されたという事です。死因・年齢ともに公表されていないようです。
くぅさん(享年25歳)
4人組ロックバンド、「NEE」のギター&ボーカルのくぅ(村上蔵馬)さん。
2017年に結成し、2021年にメジャーデビュー。
黒のバケットハットにゴーグル、Tシャツ、短パン、ロングソックスにサンダルを履いたファッションは、「くぅコス」としてファンの間で親しまれていました。
2024年5月12日に病院で死去されたことが、20日の報道で明らかになりました。
死因は公表されていないようですが、同月に予定された直近の公演は、くぅさんの体調不良を理由に中止や出演キャンセルが発表されていました。
25歳でした。
「NEE」くぅ(村上蔵馬)さんの死因や、自殺ではない理由についてご紹介しています↓
YASSさん(享年58歳)
ロックバンド・LORANのボーカリストでシンガーソングライターのYASSさん。
YASSさんは1990年にLORANのボーカルとしてデビューし、「明日が輝く場所へ」「もう一度伝えたい」などを生み出しました。
1995年に活動を休止した後は、財津和夫さんのツアーにサポートメンバーとして参加したほか、ソロとしても路上ライブなどを行い、「ストリートのカリスマ」として知られました。
2024年5月12日に膵臓がんのため死去されました。58歳でした。
門倉有希さん(享年50歳)
歌手の門倉有希(本名・金田充恵=かねだ・みつえ)さん。
門倉さんは1994年2月にシングル「鴎…カモメ」で歌手デビュー。
1998年にリリースした「ノラ」は現在もカラオケランキングの上位をキープするなど、約80万枚のロングヒットとなっています。
門倉さんは2019年2月に乳がんであることが判明。
独特のハスキーボイスでファンを魅了してきた門倉さんのステージ復帰への願いは叶いませんでした。
乳がん発覚から5年4カ月。2024年6月6日に乳がんのため死去されました。50歳でした。
PILLさん(生年不明)
伝説のハードコアパンクバンド、LIP CREAMなどで活躍したドラマーのPILL(狼狂二)さん。
PILLさんは70年代終わり頃からG-ZET、LIP CREAM、ASYLUM、HIGH RISE、OGREISH ORGANISM、DELTA PUREEなどのバンドで活躍。
また「狼狂二」名義で成人映画に出演するなど俳優としても活動されていました。
2024年6月15日に死去されました。死因・年齢ともに公表されていないようです。
花岡献治さん(享年70歳)
ブルースバンド「憂歌団」のベース、花岡献治(本名・花岡憲二)さん。
花岡献治さんは、木村充揮がボーカルの「憂歌団」でベーシストとして、シングル「おそうじオバチャン」でデビュー。
1999年の憂歌団“冬眠”後はソロ活動のかたわら作曲家、音楽プロデューサーとしても活躍されていました。
2024年6月17日に死去されました。死因は公表されていないようです。70歳でした。
GONGON(菅原勇太)さん(享年46歳)
元「B-DASH」のギター・ヴォーカルのGONGONこと菅原勇太さん。
B-DASHは2017年に解散しましたが、2002年に発表したシングル「ちょ」(オリコン最高位6位)、アルバム『ぽ』(同3位)などがヒット。
GONGONさんの父で歌手の菅原やすのりさんは、2015年8月4日に急性白血病のため70歳で亡くなり、『第57回 輝く!日本レコード大賞』で特別功労賞を贈られています。
2024年7月5日に死去されました。GONGONさんの死因は公表されていないようです。46歳でした。
園まりさん(享年80歳)
歌手で女優の園まりさん(本名・薗部毬子)。
1956年、本名の薗部毬子名義で、童謡歌手としてデビュー。
1962年7月フジテレビ「レッツゴー三人娘」で中尾、伊東と「スパーク3人娘」を結成し日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」などに出演し人気となりました。
園まりさんは2008年に乳がんを発症し手術しましたが2019年に再発。
2024年7月26日に急性心不全のため死去されました。80歳でした。
高石ともやさん(享年82歳)
1960年代後半、日本のフォークソング界草創期から活躍した歌手高石ともや(本名・尻石友也)さん。
高石ともやさんは、1966年12月にシングル盤「かごの鳥ブルース」でデビュー。
1968年「受験生ブルース」が大ヒットし、「関西フォークの旗手」として、日本の音楽シーンに一時代を築きました。
2024年8月17日に死去されました。死因については公表されていませんが、かねてから入院療養中だったようです。
82歳でした。
酸欠少女さユりさん(享年28歳)
シンガー・ソングライターの酸欠少女さユりさん。
さユりさんは、フジテレビ“ノイタミナ”アニメ『乱歩奇譚 Game of Laplace』ED「ミカヅキ」で2015年8月26日メジャーデビュー。
2016年2月24日にフジテレビ“ノイタミナ”アニメの「僕だけがいない街」EDの2ndシングル「それは小さな光のような」をリリースし、
17年5月17日発売の1stフルアルバム『ミカヅキの航海』を発売するなど、10代~20代の男女を中心に人気を誇る新世代アーティストでした。
2024年7月には機能性発声障害と診断され、治療のためしばらく歌唱活動を休止すると公式Xで発表していましたが、2024年9月20日に死去されました。
死因は公表されていないようです。28歳という若さでした。
2024年には、アニメ・漫画界の訃報も多いようです。こちらの記事で詳しくご紹介しています。
【2023年】亡くなったミュージシャンは誰?死因も調査
2023年、亡くなった主なミュージシャンはなんと19名もいらっしゃいました。
一番若くてsumikaの黒田隼之介さん(享年34)から、上はクレイジーキャッツの犬塚弘さん(享年94)と年齢も幅広い印象です。
それでは、一人ひとりご紹介していきます。
高橋幸宏さん(享年70)
1980年代に3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で世界的ヒット曲を生み出しました。
正確無比なドラムテクニックを誇っており、ソロでも活躍されていました。
脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため、1月11日に死去されました。
燕真由美さん(享年62)
姉の奈緒美さんと1970年代、双子の女性アイドルデュオ「ザ・リリーズ」として活躍しました。
ヒット曲「好きよキャプテン」で知られています。
1月24日、脳腫瘍のため死去されました。
鮎川誠さん(享年74)
ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のボーカルでギターもされていました。
1月29日、膵臓がんのため都内の自宅で死去されました。
長女はモデルの鮎川陽子さん。
恒岡章さん(享年51)
90年代に社会現象を巻き起こした人気ロックバンド「Hi−STANDARD」のドラマー。
2月14日に死去されました。死因は公表されていませんが、調べたところ双極性障害による自殺なのではないかとされています。
岡田徹さん(享年73)
ロックバンド「ムーンライダーズ」のキーボードを担当していました。
2月14日、心不全のため死去されています。
4月のステージのため、リハビリに励んでいるさなかの悲報でした。
黒田隼之介さん(享年34)
4人組ロックバンド「sumika」のギタリスト。34歳という若さでこの世を去り、メンバーもファンも悲しみに暮れました。
2月23日に死去されました。死因は公表されていませんが、死去前日にもSNSを更新していたため、自殺ではないのではないか、と今でも色々な憶測が飛んでいます。
黒崎真音さん(享年35)
アニソン歌手。
2021年9月には配信ライブ中に倒れて救急搬送、硬膜外血腫で緊急手術を受けています。
その後、復活ライブも行っていましたが、2月16日、幼少期からあったという頭痛などの持病の悪化で死去されました。
西村香景(かけい)さん(享年61)
男性路上パフォーマンス集団「一世風靡セピア」のメンバー。
2021年1月に原発不明がんと診断され手術をしましたが、2022年2月には肝臓と大腿骨に転移があることが分かり手術し、治療を行っていました。
2022年8月からは訪問看護サービスを受け、自宅で療養していましたが、今年2月25日に死去されました。
哀川翔さん、柳葉敏郎さんらセピアのメンバーがお別れに集結しました。
坂本龍一さん(享年71)
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)でシンセサイザーを使った斬新なテクノミュージックを引っさげ、世界的ヒット曲を生み出し「世界のサカモト」と称されていました。
先述した高橋幸宏さんと同じメンバーでした。
1988年には米映画「ラストエンペラー」で、米アカデミー賞作曲賞を日本人として初めて受賞し、大きな話題に。
3月28日、都内の病院で死去されました。死因は明らかにされてませんが、20年6月に直腸がんと診断され、両肺にも移転しステージ4と公表されていました。
晩年はがんとの闘いの中、最後まで創作の手を止めなかったそうで、音楽への強い愛情を感じます。
akiさん(享年52)
「黒夢」とともに名古屋のロックシーンを彩った、ビジュアル系ロックバンド「Laputa(ラピュータ)」のボーカルです。
2004年の解散後はソロとして活躍されました。
8月29日、急病のため死去されました。死因は公表されていませんが、突然の体調不良で入院し、約10日後にこの世を去ったということです。
谷村新司さん(享年74)
フォークグループ「アリス」のメンバーで、シンガー・ソングライターです。
ソロでも「昴」「サライ」など数々の名曲を生み出し、山口百恵さんには「いい日旅立ち」を提供し、現在も多くのアーティストがカバーして歌い継がれています。
10月8日、死去されました。死因は公表されていませんが、急性腸炎で療養中だったため、何かしらの合併症を引き起こしたのではないかと推測されています。
もんたよしのりさん(享年72)
「もんた&ブラザーズ」のボーカルで、「ダンシング・オールナイト」などのヒット曲で知られました。
9月にはNHK「うたコン」に出演し、哀愁漂うハスキーボイスを披露したばかりでしたが、
10月18日、大動脈解離のため死去されました。
犬塚弘さん(享年94)
1960年代に「クレージーキャッツ」の一員として活躍され、「男はつらいよ」など多くの作品に出演する俳優としても知られています。
10月27日までに死去していたことが分かりました。明らかな死因は公表されていませんが、数ヶ月前から体調を崩し、入院されていたそうです。
クレイジーキャッツは全員で7名ですが、犬塚弘さんがグループ唯一の存命者でした。
BUCK−TICK櫻井敦司さん(享年57)
ビジュアル系バンド「BUCK−TICK」のボーカルです。
10月19日、脳幹出血のため死去されました。
同日のコンサート中に倒れ、会場から緊急搬送されましたが、数時間後に帰らぬ人となってしまいました。
公式サイトは、櫻井敦司さんの死去を受け、今後のコンサートを全て中止しています。
櫻井敦司さんの体調不良はコロナワクチンが原因なのではないかと言われていたようです。詳しくはこちらをご覧ください↓
HEATH(ヒース)さん(享年55歳)
人気ロックバンド「X JAPAN」のベーシストです。
10月29日に死去されたことが分かっています。
HEATHさんは、2023年に体調が優れない日が多く、医師の診断を受けたところ癌が見つかったそうです。
どこの癌が死因なのかという明確な発表はありませんが、発見した時にはかなり進行していたようで、メンバーに連絡する間もなく先立たれてしまいました。
大橋純子さん(享年73)
「シルエットロマンス」などのヒット曲で知られ、1982年第24回日本レコード大賞で「最優秀歌唱賞」を受賞しました。
2018年3月に初期の食道がんであることを公表し、治療していましたが、2023年3月に再発が判明。
体調が悪化したため入院しましたが、1週間後の11月11日に食道がんのため死去されました。
KANさん(享年61)
「愛は勝つ」が大ヒットした歌手のKAN(本名木村和=きむら・かん)さんが死去したことが11月17日に分かりました。
死因は明らかにされていませんが、2023年3月に日本では数十例ほどしか症例がない「メッケル憩室がん」を公表し、闘病されていました。
自身のSNSは11月7日まで更新されていたそうです。ビートルズの「NOW AND THEN」のミュージックビデオの感想が最後の投稿となってしまいました。
チバユウスケさん(享年55)
元「ミッシェル・ガン・エレファント」で、近年は「The Birthday」のボーカルとして活動されていたチバユウスケさんが、2023年11月26日に亡くなっていたことが分かりました。
チバユウスケさんは、同年4月に「食道癌」と診断され、療養を公表したばかりでした。
死因は「食道癌」によるものだと思われます。
同バンドがオープニング曲を担当した映画『THE FIRST SLAM DUNK』の公式X(旧ツイッター)も、「チバユウスケさんのご冥福をお祈りします」と追悼しています。
八代亜紀さん(享年73歳)
「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られ、「演歌の女王」と呼ばれた歌手八代亜紀(やしろ・あき)さんが2023年12月30日、急速進行性間質性肺炎のため死去したことを2024年1月9日、所属事務所が発表しました。
死因は明らかになっていませんが、2023年8月から体調不良を訴え、病院で診察を受けたところ、9月に膠原病の一種であり、指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎と診断されました。
すぐに活動休止を発表し、ステージ復帰を目指して治療とリハビリに励んでいたが、死去の数日前に容体が急変。
残念ながらそのままステージ復帰はなりませんでした。最期まで周りのスタッフや医療従事者に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えていたそうです。
まとめ:【2024年】相次いだミュージシャンの訃報/亡くなったのは誰?死因も調査
今回は、2023年に続き、2024年に死去されたミュージシャンについて、死因も含めて調査致しました。
私達に音楽を通して、元気や希望を与えてくれたミュージシャン。
ご冥福をお祈り申し上げます。
コメント